この前の続き。アン

と言われてもそれを想定してなされた文章ではないのでどうしようもない。
私の中に連続した自分像などないし、前回の自分の記事に凄まじい量の誤字があることで既にやる気をなくしている。
あの記事は他の利用者さんが手動で打ち直しているとのことだがあの類のtypoはやめてほしい。 コピペではないのだから多少は仕方ない。
完全に受け継がれるものなどこの世にどれだけあることだろうか。
言葉の意味だってどんどん変わっていく。人ひとりの記憶ですら。
ひとつの人間が選んで使った言葉が他人に歪められるのには大きな抵抗がある。
鳥肌が立つ、とかもね。 他人が私の書いた文章を悪気なく改変することにより、その時点で私の文章ではなくなる。
とかなんとか考えている私だって私だという確証がない。
あってたまるか。
あの時私はラーメンが食べたかったのだ。
食欲に支配されない程度に、いやそれを楽しみに仕事をするのは人間っぽさ、私っぽさがある。
結局あの日はラーメンではない麺類を食したような気がする。冷麺だったかうどんだったか、まぁいい。
麺類はいいものだ。
普遍的な人間に起こるべき成功体験が少なく自尊感情も希薄な私でも、仕事を終えて食べる麺類は美味である。
何かを達成してご褒美に、というケアをなぞることができる。実に私らしい。
私の記憶が完全にコピーされた見た目も私の人間に入れ替わっていたとしても同じことを言えてしまうことをどう感じるのか、それもこれもこの前の続きでしかないのだ。